情報取得において「意識的に取り入れる」と「無意識的に流される」の違い
同じ情報の取得でも、意識的か無意識かによってだいぶ変わってきます。
そこで、私なりにその違いを具体的にいくつかの言葉に変換してみました。
「無意識的に流される」とは?
- すがる
- 飛び付く
- 救いを求める
- 現在だけを見ている
- 一つの角度からしか見てない
- 継続性が生み出せない
- 絶対的な正解を求めている
- 損しない方法を探している
- 「願望」と「目標」を区別できていない
- 責任を誰かに押し付けている
- 決断を他人に投げている
- うんちを漏らす
「意識的に取り入れる」とは?
- 距離を置いて観察している
- 自分に合うか検討している
- 過去からの歴史の流れも含めて見ている
- 多角的に見ている
- 継続性がある
- リソースの問題と向き合う
- 損する可能性を当然のこととして受け入れる
- 「願望」ではなく具体的な「目標」を持っている
- 自分で責任を持っている
- 自分で決断している
- うんちを漏らさない
まとめ
「無意識的に流される」の人は、様々な状況判断を自分で行っていないので、なりふりかまわず子供のようにどこでもうんちを漏らす人で、「意識的に取り入れる」の人は、ちゃんと自分で考えてトイレでうんちができる人ということですね。
私は大人になってからでもうんこまんと呼ばれたことがありますけどね。はっはー